使いかたに注意! ママに向ける「大変だね」という言葉への違和感とは

夫婦のお悩み解決コラム

子育てをしていると、「大変だね」と声を掛け合うことが珍しくない。「夜泣きが多くて大変ね」「やんちゃな子で大変だね」なんて、よく言い合うものだ。

 

私はその「大変だね」にどこか違和感を感じていた。その違和感がハッキリしたのは、とある友人が十数種類のアレルギーを持つ長男に、「かわいそうだね」「大変だね」と繰り返したときである。

使いかたに注意! ママに向ける「大変だね」という言葉への違和感とは

いたわりの「大変」か、好奇の目の「大変」か。

友人は何度もかわいそうと言いながら、「うちの子は何もないからさ、市販品は何でも食べられて楽だけど、大変だね~」と続けた。そこでやっと違和感の正体に気が付いた。

 

彼女の言う「大変だね」は、「ねぎらいやいたわり」の意味を持ったそれとは違う。一番言いたいのは「うちの子は何もなくて楽」であって、私(長男)に対する「大変だね」はどこか好奇の目を持った、釈然としない「大変だね」なのだ。

 

だからだろう、大変と言われるたびにドンドン自分が「大変でかわいそうな存在」になっているように感じてしまう。彼女と話した後はドッと疲れてしまうのだ。

私はほんとうに大変?

では私はほんとうに大変なのだろうか? これは他のママとも意見が共通したが、自分にとっての「基準は我が子」。他の子と比べたことがないので、大変も何もわからないのだ。

 

他の子と比べ始めればキリがない。アレルギーだけでない、発達、成長、読み書き計算、スタイルや顔など比較対象は無数にある。そこで比べては私も大変だし、何より子どもが苦しむ。自身も比べられるのはイヤだったから、産後から母子ともに周りと比べることを止めた。

 

“アレルギーのない子のほうが楽”と予想はできるが、それは私の人生ではない。私の人生はアレルギー持ちの長男がいること。アレルギーのない他の子が良かったなんて思うはずもなく、アレルギー云々に関わらず、彼が私の長男でなければ絶対にイヤなのだ。

「大変だね」という言葉の使いかた

我が家には次男もいるが、次男は今のところアレルギーがない。その代わり驚く程のヤンチャでケガが絶えず、母としては心臓が足りないと思ってしまうほどだ。「何が大変か」なんて物の見方ひとつで変わるものであり、子育ては誰しも大変なものだろう。

 

「大変だね」という言葉は難しくて、言われて「そうなんですよ~あんなこともあって大変で」と話が弾む場合もある。でもそれは目上の人、おばあちゃん世代の人とか、支援センターの人に言われた場合に限るように思う。

 

同じママ同士で「大変だね」という言葉を多用すると、相手の重荷になることがあるかもしれない。使いかたには注意したいものだ。

 

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