パートナーでも、わが子でも。価値観の違う相手を「受け入れる」必要はない

夫婦のお悩み解決コラム

生涯を共にするパートナーや、自分以上に大切な我が子。最も愛する彼らだからこそ「違う価値観でも全て受け入れたい」と思うもの。とはいえ「相手の気持ちが理解できない…」なんて悩んでいませんか。

 

理解できないあなたは、それが正解。たとえパートナーでも我が子でも、違う価値観を理解したり、受け入れる必要はないのです。

パートナーでも、わが子でも。価値観の違う相手を「受け入れる」必要はない

自分を押し殺すのが本物の愛情?

「相手を理解したい、受け入れたい」と思う気持ちはとてもステキですし、自然な感情でしょう。愛情が強くなるほどそう思いますよね。とはいえパートナーも我が子も結局は他人。性格・価値観・趣味嗜好は違って当たり前ですし、「違う相手を理解できるか、受け入れられるか」というと難しく、ほぼ無理です。

 

それは「受け入れよう」とすると必ず自我が出てくるから。たとえば朝食はパン派のあなたに、ご飯派の夫の場合。夫のために和食を作り続けたとしても、「和食って作るの大変だし、朝から重いんだよね。美容のためにも軽くパンとフルーツで済ませたい」という自分の気持ちはいずれ出てきます。

 

「そんなの本当の愛情じゃない」なんて意見も出てきそうですが、自分の気持ちを押し殺し、相手に従うのが本物の愛情でしょうか。お互いが自分らしく生きるのを見守ることこそ、本物の愛情だと私は感じています。

 

最初は相手を受け入れようとしても、必ず自分の気持ちが出てきて、受け入れられないと悩むことになるのです。

「受け入れる」の主役は自分、決定権も自分

では、なぜ愛する相手なのに違う価値観を受け入れられないのか。それは「理解しよう、受け入れよう」とする時点で「自分本位」になっているからです。

 

理解や受け入れるという行為は、相手を思っているようで、実際は「自分というフィルター」を通して行われます。あくまで主役は自分、決定権も自分。そこに違う価値観を通せば、どうしても自我がストップをかけます。

 

相手を理解しようとして悩み苦しみ、「やっぱり理解できない!」となるのですね。

見守り、信じよう

ほんとうに相手のためを思うなら、「見守り、信じる」しか私たちはできません。見守り、信じる行為は、自分フィルターを通しません。相手のありのままをそのまま尊重することになります。

 

これもまた難しいことではあります。つい口を出したくなっても、自分は何もできないからです。一見「諦め」にもみてとれるでしょう。ただ「諦める」とは仏教用語で、「明らかに見る」という意味。

 

結局はありのままの相手を見守り、信じるのが本物の愛情ではないでしょうか。

見守ることは相手のためだけでなく、自分のためにもなります。先ほどの例のように、無理して自分を押し殺す必要もないからです。自分も相手も、その人らしい人生を100%生きるために。「見守る」訓練を今から少しずつ始めてみませんか。

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