「保育園はかわいそう?」そんなことないと思えるエピソード集 第5回

保育園でできる“つながり”は一生の宝物

夫婦のお悩み解決コラム

先日、主人とお互いの友人関係について話しました。筆者の主人は保育園に通っておらず、あまり地元の友人がおりません。友人は多いほうに見えますが、幼なじみと呼べる地元の仲間はいないようです。

 

かたや筆者には、幼なじみと呼べる友人が大勢います。どちらが良い悪いの話ではありませんが、わたしは「いないよりはいたほうがいい」派。息子にも保育園での友人を大切にしてほしいと思っています。

保育園でできる“つながり”は一生の宝物

 

幼なじみは、兄弟のような “同じ時間を生きる” つながり

筆者には0歳児からや保育園からのの幼なじみが多くいます。もちろん、すべての友人といまだにしょっちゅう連絡を取り合っているわけではありませんが、SNSでもつながりがあり兄弟のような感覚です。

 

ラッキーなことに、筆者の通っていた保育園のクラスメイトは、ほとんどが同じ公立小学校に進みました。そのため、中学・高校・大学・社会人と年齢を重ねても、ときどき会う機会があります。仲の良いメンバーとは食事に行きますし、同窓会で顔を合わせることもあります。

 

1年前の夏にも、保育園のクラスメイト数人と同窓会で再会。お互いの子どもの写真を見せ合うと、自然と自分たちの思い出話に華が咲きました。たとえ一人っ子であっても、こういった兄弟のように話せる友人がいるのは大切なことだと実感しています。

我が子のように叱咤激励してくれる、クラスメイトのパパ

自分が親になってわかったことですが、0歳から毎日顔を見ている息子のクラスメイトはみんなかわいい。大げさな表現になりますが、まるで親戚の子のような感覚になります。顔を見る頻度で考えれば親戚の子よりずっと身近かもしれません。

 

わたしも、幼少期はクラスメイトのパパやママにたっぷり叱られて大きくなりました。叱られるだけではなく、苦手な跳び箱が跳べたときや、絵の賞をとったとき…クラスメイトの親が我が子のように褒めてくれました。

 

子どもにとって、そういった「第2の親」が大勢いることは大きな安心になるのです。

思春期に助けてくれたクラスメイトのママ

高校時代の一時期、筆者は登校拒否をしていました。何があったわけでもないのですが、思春期特有のモヤモヤがあり、どうしても学校に行きたくなかったのです。

 

登校時刻を大幅に過ぎたお昼前に近所のコンビニへ行くと、幼なじみのママがパートをしていました。その幼なじみとは保育園を卒園して以来あまり仲良くなかったにもかかわらず「朝ご飯は食べたの? 今日は何して過ごすの? 明日も来てね」と声をかけてくれたことが、当時のわたしにとってどれだけ心強かったか。

 

親になって思い返すと、きっとそのクラスメイトのママは、わたしのことを親戚の子のように思っていてくれていたのかなと思います。自分の子にもそんな「第2の親」がいてほしいですし、わたしも息子の保育園友だちが同じようなことをしていたら声をかけたいなと思っています。

自我が芽生える前からの付き合いだからこそ

歳を重ねれば重ねるほど、友人関係はどうしても同じ趣味、同じ職種の人に限られてしまいます。それに比べて保育園時代の友人は家庭の経済状況もさまざま、趣味や職種も多様。価値観が定まってからできる友人とはまた違う刺激を受けられる存在です。

 

家族以外で、自我も固まっていない自身の子ども時代を知っている友人やクラスメイトの「第2の親」という存在は、それだけで自己肯定に繋がるとも思います。なぜなら、理屈抜きに「幼い時間を共有した人々」だから。

 

そんな幼なじみや頼れる存在が大勢いることはしあわせなことではないでしょうか。我が子にもそういった環境を作ってあげたい、作って欲しいと思っています。

 

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